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2007年07月26日

ボランティアをはじめるきっかけ

2007年07月26日



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<ボランティアをはじめるきっかけ>



太郎に対する暖かいコメント本当にありがとうございました。

今まで小さなころからたくさんの犬と生活してきて、最後は死という形で別れを経験して来たのですが、太郎の死はその中でももっとも辛い記憶でした。
今まで亡くなって来た子たちは老衰で亡くなったり、予期せぬ突然死でなくなったり、まさか死ぬようなものではないとおもっていた病気の治療中にあっという間に肺に塞栓ができて苦しむまもなく亡くなった子、生まれてすぐに亡くなった子など・・
その別れはそれぞれ皆、辛くて悲しい別れでした。
愛する家族を亡くすことはその大小などなく、残されたものは辛い別れを果てしなく悲しみます。
そのつど立ち直れないとどんなに思ったことか。

そういった中でも、太郎のことは、親(飼い主)である自分がまず命の期限ともいうか・・・・
寛解という望みをかけた延命治療か、みじかくとも苦しい治療をせずに自然なままで最後の瞬間まで美味しい物を食べさせて後悔のないように精一杯の愛情でもって一緒に生きることか・・・

そういう、はじめの段階でどうするかを選択しなければならないことからはじまるというものでした。

わたしが選択したのは、きっぱりと迷いもせずに、望みを捨てずに、今の動物医療で出来うるであろう最高・最大限の治療をしようと決め、太郎と一緒に頑張って生きるということでした。

わたしが選んだ道は、太郎の体にとっても、自分が太郎を想う心にとっても、とてつもなく辛いものでしたが、6ヶ月半という間、太郎と一緒に頑張ろうと一生懸命戦って、治療の途中体調がいいときには一緒に旅行までできたり、辛くても一日一日が想い出深いとても大切な大切な月日になりました。

そして、最終的には、ひどい苦痛を訴える愛する子をどうしてあげたらいいかと迷いに迷った挙句・・・
最後は自分の意思で、『安楽死』というかたちの死を選択したのです。

そのことに後悔していないと昨日の日記でも書きましたが、少なくとも
『あの時あの瞬間』は本当にそう思ったのです。


こういう活動をしている中でいろいろな方の愛犬との闘病のことなど、知ることが多いです。
そして、最後の時をどう過ごすかというそれぞれの考え方も、一人ひとりの人間ですもの。
みなそれぞれ想うところがあり、信念があり、ひとつひとつの物語のように皆、それぞれ違います。

実はね。
こんなこと書いたらまた非難されることもあるだろうけど、だけど、どうしてもひとつつけたしになるけど、書かずにはいられませんでした。


私がここ数日、太郎の思い出として書いて来たことは、愛犬の3回忌という節目でもあり、その思い出を、そのときに感じていた想いやあの子との思い出を風化せずに、あのときのことがあってこそ今の自分があるということや、同じ種族ではない犬という存在だけど、その確かな尊い存在をどれだけ深く愛していたか、そういうことを3年目の今のわたし個人の心に、より深く刻み付けるために書こうと想って書いたことでした。

だけど、

わたしのブログはボランティアとして犬たちの里親さんを探すために書いているものと受け止めてくださって、今でも未熟でまだ経験の浅いわたしのつたない活動に、心を留めてくださって見に来てくださる方がいて、思いがけずも、ほんとに多くの方が読んでくださっているということを指摘してくださる方がいて、なかば、公のようなものになっているということなどぜんぜん考えもせず、また失念していました。

だから、付け加えて書かせていただきます。


私が書きたかったことは『安楽死について』のことではありませんでした。

ただ、わたしの思い出をわたしのためにだた書いたことでした。

決して『安楽死』を推奨しているわけでも、ましてや誰かに強制したり『そうしろ』など、そんなことを言いたくて書いたことではありませんでした。

少なくとも太郎の思い出と題した2日間の日記はボランティアをはじめる前のわたしの思い出であり、安楽死を考えるように読んでもらいたいと思って書いた物でもないのです。(こう言うところがいけないのかな^^;)




多くの人が読むブログで『安楽死』で楽に死ねる・後悔していないと言ってしまうとなんだか怖いし、病気になれば『安楽死』させればいいんだって思う人が出てこないともかぎらない・・・・

・・・と感じてしまった方はほかにもいるでしょうか?


そう感じられた方がいたのなら、私の文章力が未熟なばかりに思わぬ誤解をおかけしてしまったこと・またそう感じるような誤解を招く書き方をしてしまったことを深くお詫びいたします。

そして、お願いです。

絶対にそんなふうには捉えて欲しくはないです。


わたしたちは皆それぞれ、一人一人まったく違う人間です。
人それぞれ、生きてきたいろいろな環境や生きている間に培われてきた考えや意見がありますよね。

そういう中で共感できること・できないこと・受け付けないこと・ゆるせないこと・・・ほんとうに人それぞれいろいろあります。


『誰それがそういう選択をしたから、私もそうしよう』なんて、ほんとうに思う人がいるかどうかわかりませんが、どうかそんなことがないように祈ります。


わたしが太郎のことで人に何か伝えたかったことがあるとするならば、それは安楽死とはぜんぜん別のことです。

昨今、ボランティア活動を通してよく見聞きしてしまうようになった、

『引越しにより手放す人・離婚で飼えなくなったから手放す人・
よく考えもしないで迎えてしまったけど手がかかって飼いきれなくなって手放す人・お金が予想以上にかかってこれ以上買えなくなった・病気になってもきちんとした治療をしない・病気になったから捨てる・病気になったから面倒なので処分にだす・ただいらなくなったから捨てる・・・etc,etc・・・・・』

上記のような理由で手放すまたは手放した・処分した等等、という話を
嫌になるくらい見聞きしてしまいます。

何の罪もない子だというのに。
飼い主を親のように信じて、無償のすごい愛で親(飼い主)を愛してくれる存在。
決して愛を裏切ることのない純粋なる存在なのに。
それに気づかず、気づこうともせず、残酷なことを平気でする人がいる。


わたしが2日にわたって太郎への想いをくどいように書いてきたのは、

家族と迎えた愛犬(または猫であり、その他の生き物)とは、『どれだけ愛しても愛しても愛し足りない、かけがえのない存在』であるかということ・・・

それが私の太郎への想いであり、今いる子への想いであります。

またそれがボラとしてかかわってきた無垢なる存在たちの飼い主になる人に伝えたいことだとおもいます。

与えられるべき物を精一杯与え、愛してほしいということ・・・・

家族として迎えた愛する存在(犬であれ猫であれ、そのほかであれ・・)を、健やかなる時も病めるときも、何時いかなる障害があろうとも、愛を誓った存在のごとく、その子のために自分のありったけの想いでもって、その死の瞬間まで愛することを止めず・愛しみ続け、それがどんな選択・別れになろうとも、誰の意見でもなく、自分の思いうる全てでもって、後悔のないように最善を尽くしてください。

どんな選択をすることになっても、それがただただ愛する存在のためを思って、考えに考えた上で行うことならば、それが自分の正しい答えだと胸張って私は思うようにしたいですし、そうしてほしいなとおもうことです。

そうじゃなきゃ、辛すぎる・・・



でも、ほんとのところは、


後悔の伴わないことなんて、実はないのかもしれませんね・・・・


頭の中で・口で・文章で、『選んだことを後悔していない』といっても、実は根っこのところには『後悔』なる存在がないわけではないと実は思ったりもしています。

本気で後悔していないって思っていたならば、ペットロスで思わぬアレルギーをおこし体を損ねるほどに苦しまなかったんじゃないのかなって。
ここで日記を書いてみて、当時のことをすこしだけど客観的にみることで、奥にそう言う気持ちがあったことに気づいちゃったところです。

だけど、後悔しているとはやっぱり言いたくはないです。
ああすることが、親としてのわたしの出来うる愛の全てであったと太郎に誓いたいですし、
私を信じて愛を返してくれた太郎に申し訳ないですし、親として情けなさ過ぎますから^^;


人ってほんとに弱い存在で、迷うことばかりですね。

いつか、後悔などないと胸張っていえるような我が子への愛し方をできるようになりたいです。。。




さてさて、

前回にもちらと書いたのですが、わたしがこうしてボランティア活動をはじめるきっかけとなったのは、愛犬・太郎の死でした。

愛おしすぎて亡くした痛みが強すぎて、呼吸することすらしたくなくなるような空虚な気持ち。
こんなに愛し過ぎてしまうともう、痛みは鋭く激しく・・・
どうすればこの心の痛み・悲しみから解放されるんだろう?
太郎を少しでも忘れることが出来たらいいのに。
でも忘れたくない。

できることなら太郎と一緒に付いていってあげたかった・・・なんて親不孝なことまで考えちゃうくらい。
だけど、わたしにはまだ救いがあったのが幸いでした。
綱吉をはじめ、可愛い愛犬たちがいてくれたから、泣いてばかりいてはいられなかったというのもありました。(でも結局泣いてばかり過ごしてしまったのですが)

愛犬たちがみな寝静まってしまって、やることがない夜中という時間は、わたしにとってとても孤独な時間でした。
その時間がとても怖かった。ひとりぽつんとして思い出すのは太郎のことばかり。
日にちが経てば経つほど、くるしみ悲しみは楽になることなく、さらに深くなるばかり。

ひどいペットロスになって、不眠症になり、毎夜、太郎を思い出しては大泣きしながらも、ついつい太郎に似た雑種犬を見たいがためにネット徘徊を繰り返していました。

見て行くうちに『いつでも里親募集中』というサイトにたどり着きました。
ほとんど日がな一日中、何度もサイトに訪れ、そこに載っているすべての犬の写真をクリックしては、太郎に良く似た犬を探してしまうような毎日・・・
だけど
亡くしたばかりということもあり、すぐにほかの犬を迎えようなんて思うことなどできなかったので、ただ無意識に多くの雑種が見れるサイトなら、ちょっとでも太郎に似た子が見れるんじゃないかとか、そういう動機で里親募集サイトを覗きに行っていたようなものでした。

もう写真の中や思い出の中でしか会えなくなってしまった太郎にほんの少しでも似た子をただただみてみたい。
ただなんとなく見てみたかったんですね・・・

だけど、ほんのちょっとでも似た子がいたらいたで、見るにつれ、『わたしの太郎はもういないんだ』ということを思い知らされ、寂しさが募るばかりでした。

そうこうしているうちに、ペットロスからのストレスが極限まで溜まりに溜まり、ついには原因不明のアレルギーの一種(クインケ浮腫)になり、元の顔が判らないくらいにパンパンに腫れ上がってしまったのです。(気道までがふさがってしまいそうになって夜病院に連れていってもらいました^^;)
いろんな原因によって引き起こされるといわれているアレルギーで、食物アレルギーだったり、ストレスだったり、でも確たる原因のつかめない病気でした。
いろいろ試した結果、私の場合は今まで経験した事のないような強いストレスがかかったことによるものなのではないかと判断し、そこからやっと、すこしづつ太郎の死をきちんと受け止める事をしようと、
すこし前向きに考えを持っていけるようになりました。

そうなったあとは、太郎の面影を探しに行っていただけの里親募集サイトを見る目が変わってきたのでした。

あのころのわたしはまだ里親ボランティアなど、ぜんぜん知らないようなただの犬飼いで、こんなにもたくさんの犬たちが人知れず処分されていっていることや、そこから助け出された一握りの保護犬たちを無償で里親を探す人たちがいること・・・
ほんとうに何も知らない人間でした。

たくさんの子たちを救うために頑張っているボランティアさんや保護犬の力に少しでも協力できたら・・・
太郎と同じ雑種犬のために何かしてあげることができたら、
なんだか太郎の供養にもなるような・・・そんな気がしたのでした。

う〜〜ん、なにか、それ以上にね。
太郎がもう一度生まれ変わって私のそばに来てくれないかな?
また犬に生まれ変わるかどうかわからないけど、もし犬に生まれ変わってきてくれるなら、もう一度わたしのそばに来て欲しい。
そう思っちゃったんですね〜^^;

それもね、変な話なんだけど、生まれ変わってくるとしたら『絶対雑種』とか思い込んでたところが我ながら、なんともいえないのですが^^;

そんなことを考えているうちに物資や運搬ボランティアなど、自分でもなんだかできそうなお手伝いがあるということを知り、
ちょうど、病気で食欲のない太郎のためにいろいろな銘柄の缶詰やおやつを取り寄せていたものがたくさん余っていたこともあり、まずは物資の協力をしてみようと問い合わせたのが、
今では一緒に活動させていただいているめぐろのいぬやしきさんのところだったのでした。

そこからがわたしの里親探しボランティアにどっぷりとつかることになる出会いになるとはまだ思ってもみなかったのよね〜^^;


今はもう、半ば生きがいになりつつあり、そこで知り合った素敵な仲間との出会いも、やっぱり、太郎の贈り物だったんだと思います。


今日はすごく長くなりましたが^^;

私らしくもなく熱く語ってしまいましたが、引かないでくださいね〜〜(はずかしい〜^^;)

ああ〜〜〜でもなんかすっきりした〜〜〜ぴかぴか(新しい)

満足満足〜るんるん


明日からは通常の日記を書きますからね〜るんるん


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さてさて〜〜
この子は誰でしょう〜〜?るんるん
さるさるさ〜〜る ウキキっ!




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2007年07月24日

太郎の思い出・2

2007年07月24日



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<太郎の思い出・2>



今日24日は太郎の3回忌です。

あの子が亡くなってからもう3年になるんですね・・・

そんなに経ったと思えないな・・・つい昨日のことのように思い出せる。

いまだに思い出は褪せることなく、彼を思いだすたびに『ああ〜こうだったね』『食べ物は〜〜が大好きだったね』『雷怖かったね』と太郎が好きだった物、怖かったものをみるたびに心の中にいる太郎に話しかけています。
だからか、闘病中のことをちょっとでも思い出すと未だに大泣きしてしまったり。
これを書いている間中も・・・^^;



さて、昨日の続きです。


代々木から元の場所に建った新居に引っ越して数ヵ月後、初めての年越しを迎えた一月。

突然太郎の体に異変がおこりました。

下顎リンパ節に左右対称でないしこりが出来ていることに気づいたのです。
日ごろ、体のあちこちを触っているようにしていたし、顔周辺・顎あたりは毎日のように撫でていたので、出来て間もない発見ではありました。
それだけでなく、発見する一日二日前くらいだったと思いますが、お散歩の時に、男の子だからおしっこをするときに足を高くあげてしっこするのですが、そのときにほんのちょっとふらつく感じで電柱に体が当たったりしているのも、今までそんなことなど一度も無かったから気になっていたのでした。

リンパが腫れることはそんなに珍しくも無いことですが、大きさが左右対象ではないということがただならぬ物ではないかと思い、すぐにかかりつけの動物病院につれて行きました。

うちの担当の先生がそのしこりを触って、診察が進むにつれみるみる表情が強張ってくるのが判りました。
より詳しい検査の結果、太郎の顎のリンパに出来たものは腫瘍であると
判りました。

それも悪性の癌の一種。
悪性リンパ腫』のステージ1から2にはいったところあたりでした。

以前一年間、犬の病気のことをもっと詳しく勉強したくて動物看護士の勉強に学校に通っていました。
だから、その病気がどういうものか、大体のことは知っていたので、それを聞いたときの気持ちというのは、もう・・・・・

奈落の底につき落とされたようなとでもいうか、言葉にはうまく言い表すことが出来ないけれども、
目の前が真っ暗になって、頭の芯がビリビリと痺れ、体はがくがくと震えだし、『冷静に先生の話を聞かなくちゃ。私がうろたえたら太郎はどうする。』って取り乱すまいと頑張りましたが、もう、どうにも嗚咽を堪えることが出来ませんでした。


悪性リンパ腫の予後は非常に楽観できるものではなく、何の治療もしない場合は1ヶ月そこそこの寿命です。
化学療法(抗がん剤治療)がリンパ腫の進行抑制と延命に非常に有効であるけれども完治することは無い病気です。

だけれど、抗がん剤治療で寛解(かんかい。病気の症状が軽減またはほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態。治癒とは異なる)することにより、その寿命を1年〜2年伸ばすことも可能。
抗がん剤治療をしても抗がん剤にうまく反応しなかった場合、寛解まで到達せず、その場合だいたい半年持てばいいほうだというものと理解していましたし、先生のお話もそういったことでした。


そのとき、わたしが選択したのはもちろん何の迷いも無く、その日からの抗がん剤治療でした。

何もしないで諦めるなんてとんでもないとおもったし、何よりも太郎があと1ヶ月だなんて、絶対に嫌でした。
どんなにお金がかかっても、なんとしてでも寛解に持ち込んでいくことしか考えられませんでした。

リンパ腫は成長が著しく早く、1,2日で細胞がグンと大きくなったりするのだそうです。
太郎の場合、発見は早かったほうで、転移も膝下リンパ節に小さい物と下顎リンパにあるのが確認され、太郎の体の頑張り次第で十分寛解に持ち込める範囲と、その望みを希望につなげることにしました。

すぐにその日から、動物先進国アメリカでも非常に信頼性高く有効とされている抗がん剤プログラム(6ヶ月間(1サイクル)で行われるもので、何種類かの抗がん剤を各週・2週おき・3週間明けるものなど、それを犬の体調・その犬への効果などによって微妙に調整もでき、いろいろな組み合わせで打っていきます)を開始しました。

その日の、1回目の抗がん剤投与で下顎に出来たリンパ腫が約半分ちかくまで小さくなり、
このまま行けば、寛解もぜんぜん夢じゃないと小躍りするくらいうれしかったです。

でもそれもつかの間でした。
腫瘍に対しての効果は(最初は)あったけれど、そのぶん太郎の体への負担は大きかったのです。

太郎はもともと、食が細く食べさせるのに苦労するような子でした。
それに小さいときから腸が弱くて、お散歩30分〜1時間行く間にうんこを何度も何度もして、最初の方のうんこが硬くても下痢っぽくなり、最後の方は水が出てくるだけ・・・というのがもう毎回で、それが太郎の正常な状態と言っていいほどでした。
何度も調べて治療もしてもその状態が変わることはありませんでした。

そういう子だったからか、抗がん剤治療のすぐあとは家に帰ることが出来ないほどぐったりしたり消耗するのです。

なので、1回の抗がん剤投与をすると2〜4日の入院が必要でした。
毎週抗がん剤投与があるときは週の半分は病院に入院することが多かったです。

入院している間は絶えず人の目がある大きな24時間病院だったし、治療は太郎の体が楽になるように点滴など、適切な対応をしてもらっていたのはもちろんですが、もともとすごく可愛い子で病院の先生や看護師さんの間でも太郎ファンが多くて、特別に可愛がっていただいていたような子だったので、預けている間も何かと安心ではありましたが、なるべく太郎が寂しくないように毎日のように病院に通い、美味しいお肉の差し入れや太郎が食べれくれそうな好きなものを持って、会いに行くようにしていました。
体調がいいときは一緒にお散歩に行ったりも。

毎回抗がん治療をする日は水曜日でした。
水曜日にすると週末あたりには家に帰れるのでした。

入院して体調が回復すると家に帰り、だけど抗がん剤治療している間は、その排泄物(おしっこやうんこ)に健康な子には有害な物質が出るので、太郎をほかの子と一緒にできなかったので、地下にあるもうひとつのわたしの部屋を太郎専用にして、気持ち良く過ごすことが出来るように整えました。私もなるべくそばにいるようにしていました。

食べものにも気を使いました。
リンパ腫の癌は炭水化物をとると育ってしまうということもあり、太郎が大好きだったパン類はよっぽどほかの食餌をとらない場合のみに少量あげることにして、良質な高たんぱく質をとらせるように心がけました。それプラス免疫をあげていくサプリメントを混ぜたり・・
だけど、普段飲むお薬もおおくて、サプリメントまで食べさせるとなるとほんとに大変でした。
高タンパク質の缶詰は太郎の弱いお腹に合わなくてうんこがゆるくなって血便出したり・・・
元気なときですら食が細い子だったのだけど、治療をするようになってからますます食欲減退し、食事を食べさせるのがたいへんになりました;0;
毎日の食事も悩みの種でした。

そういった毎日をおくり、治療が続くにつれ、徐々に徐々に太郎は弱ってきました。

はじめのころ効いていた抗がん剤にあまり良く反応を示さなくなり、
さらに体を損ねかねかねないくらい、体に負担がかかるようになりました。とくにビンクリスチンという抗がん剤は一番細胞には効いていたのだけど、それを使うとすごくダメージがかかるようになりました。

40度以上の高熱・白血球の著しい低下を起こし、あまりにひどいときは輸血が必要になるくらいでした。

そんな治療中の弱っている太郎をみるのはすごく辛くてたまりませんでした。

会いに行くたび、弱った太郎に会うのがたまらなく怖かったです。
今にもいなくなってしまうんじゃないかっていうのと、
こんなに辛い思いをさせてしまって許して欲しいと言う気持ち。
だけど、『どうしても太郎に頑張って欲しいの。無理をさせちゃってごめんね。だけどできるだけ長くそばに居たいんだ』って、辛そうな太郎に『頑張れ』と無理をさせていました。

そんな自分のエゴばかり押し付けて、苦しい想いばかりさせることしかできなかったわたしに、太郎は『大丈夫だよ』っていってくれているように、ふらふらと歩くのも辛いのだろうに、散歩に行こうという意力を見せてくれたり・・・

仲のいい看護師さんが話してくれたのですが、
『病院でさっきまで元気なく立つのも辛そうに寝てばかりだったのに、ママが来るととたんに立ち上がって弱弱しくでも尻尾を振って、お散歩に誘う姿は、本当に太郎ちゃん頑張っていますよ』って話を聞いたときはもう・・・
太郎に泣き顔を見せちゃいけないとおもっているのに、涙と嗚咽を止めることができず、病院の待合室で人の目も気にせず泣きました。

わたしが治療をすることを決めたばかりに、こんなに辛い目にあわせてしまっているのが申し訳なくて・・・

自分が太郎とできるだけ一緒に生きたいからというエゴを押し通して、立ち上がることが出来ないくらい痛々しい目にあわせてしまっているのがたまらなかった。

だけど、弱ってきてしまっても、わたしは悩みながらも治療を打ち切ることはどうしてもできませんでした。
万が一、いきなり好転して状態が回復していくことがあるかもしれないと。
そんなことはきっとないともうそのころはどこかでわかっていたはずなのに・・・・

もうそのころには押さえが効かなくなっちゃってところかまわず泣いていたっけ・・・
太郎とお散歩しながら。
待合室で太郎と一緒にいるとき。
太郎に会いに行く時。
会って家に帰る時、病院で泣き声がでるのを我慢していたから、車の中ではもう声を殺さずに子供のようにワンワン泣きました。
それも、車を運転しながらです^^;涙がとめどなく出てきて前がぜんぜん見えなくなって、途中で車を止めなくちゃならなくなります。
夜中眠れなくなって、気がつくと泣いていました。一晩中。

あとはもう、何かに当たるように自暴自棄になったりして。

思うことはというと、

『どうか神様助けてください。太郎の痛み苦しみをわたしが代わりに受けるから太郎に痛みや苦しみを与えないでください。』
『どうしてこんなにいい子の太郎がこんな目にあうのだろう。』
『なんで太郎なの?これからもっともっと幸せにしてあげたかったのに。』
『誰よりも幸せになるためにいるような天使のような子がどうして・・
どうして助けてくれないの?やっぱり神様なんかいないんだ・・』

そんなことばかり思っていた毎日だった。



そんな毎日も6ヶ月間の抗がん剤治療をあと1回で終わるという時、
いきなり恐れていたその時が近くに来てしまいました。

抗がん剤治療をする予定の前日、いきなり生まれたばかりの子鹿のようによろめいて倒れたまま、それから一度も立てなくなってしまったのです。

すぐに病院に連れて行き、すぐに入院になりました。

もう全身に癌が転移していました。

自分で立つことも出来ず、寝返りすらうてなくなってしまいました。
動くのは頭をほんの少しあげることくらいでした。

また、癌による痛みも出始めてしまって、まだそのときは痛み止めのパッチで効くくらいの痛みでしたが。

食欲がなくなり、食餌を自分お口からとるのが難しくなってきて、
もう太郎の好きな物だったら何でも食べさせてあげてくださいと言われ、食べさせるためにデパートで一番高いヒレ肉を買って調理してもっていったり、それでも食べなければ、ロースを持ち込んでみました。

結局私が持っていった物は食べられなかったけれど・・・
太郎が自分の口で食べれた最後の食事は、看護師さんからいただいたというローストビーフだとあとから聞きました。
一口だけだったそうだけど、最後に食べることが出来たということが本当に救われました・・


もう病院にいても治療をすることはなく、出来るのは延命だけになりました。
もう長くないということも理解しました。

だから、
家族と相談して、太郎を家につれて帰ることにしました。

せめて、最後の時はうちでお世話しながら過ごさせたかったからです。

食べることができなかったので、退院のころには鼻からチューブを通して強制給餌が出来るようになっていたので、そのまま連れ帰り、やり方を教わって自分でチューブから食餌をあげました。

40度以上の高熱がでているので、アイスノンで体の熱がそれ以上上がらないようにし、夏だったので冷房もガンガンにいれました。極寒でした。
寝返りが打てないので1時間ごとの体位変換。
プライベートでも仲が良かった病院の看護師さんも仕事が終わったあとはうちに泊まりこんでくれて手伝ってくれました。
夜中も体位変換があるので、皆で交代で太郎を看ていました。

もう話しかけても目の玉が少し動いたり、かすかに頭をあげるくらいしかできず、何にも反応が鈍くなっていたけど、なるべく話しかけるのを止めませんでした。
そうすると目が私を追いかけてくれて・・・
そんなことだけでもわたしは幸せでした。
このままずっとでも、なるべく長くお世話したいと思っていました。

だけど、もう痛み止めパッチだけでは痛みを抑えることができなくて、強い痛み止め注射を打たないといけないほど、苦しみだすようになりました。
その痛みによる苦しみ方はひどくて、動くことが出来ない体がひどい痛みで動くのです。
痙攣を起こしはじめると血混じりの血便がでてきます。
病院に電話してすぐに往診に来てもらい、痛み止めをうってもらいました。
それが一日に何度もおきるようになりました。

もう痛み止めの効果も長く持たないほどになってきていたのです。

こまめな体位変換をしていたにもかかわらず、血行が悪くなっているため、とこづれも起こしていて、体位変換するときにすごく痛むらしく、
悲鳴をあげるのです。
もうたまらなかった・・・

体をただ撫でることすら、痛みを感じてしまうんです。

『もうだめなのかな・・だめなのかな?』とただ泣き喚いて取り乱すばかりでした。

そして、担当の先生から安楽死のお話がありました。

そんなことも、考えなくてはならないだろうとぼんやり頭にはあったけど、だけど、お話をされるまで、わたしは安楽死のことを考えることはしていなかったのです。

だから、それが現実に考えることになってしまって、
『覚悟しなくては・・』と漠然と文字ばかりを素通りしていたようで、覚悟の悟の字もできてなかったのが自分でわかりました。
とにかく、ただ必死だった。

だからその答えをすぐに出すことが出来ず、どうするか考えるといったん電話を切りました。

もうそこからは、もう・・・

自分で太郎の命の期限を決めなくてはいけないことが嫌で、怖くて、重くて、できることなら逃げ出したかった。

ほとんど半狂乱。
どうにかなりそうで気がふれるかと思いました

だけど、太郎のことはわたしが最終的に決めなくちゃならないことでした。

そうするのが飼い主のつとめだから・・・


わたしがエゴを押し通したばかりに長いこと苦しめ、今わたしは太郎に苦しみしか与えてあげられていない・・・・

もう太郎を絶え間ない苦しみから救うためには安楽死をしてあげることが、最後に唯一私がしてあげられること・・・

そう理解して決断するまで数時間かかりました。

次の日に安楽死を選択することにしました。

やっと決断をした後、先生が往診に来てくれたとき、鼻に入っているチューブを抜きました。
食餌を入れることすら苦痛だったから・・

あとは、汚れたお尻の毛を綺麗にしました。

あとはもう、ただそばにいることしかわたしにはなかった。



皆に愛されていた太郎。

最後の夜には、看護師のお友達もまた一緒にいてくれて、妹や太郎を良く知る犬友達もきてくれて一緒にそばで太郎の思い出話をしました。
太郎に聞こえているかどうかわからなかったけど、泣いているところばかり見せちゃったから、話をすることで寂しくないように。

安楽死の日にはいとこも駆けつけてくれて、太郎の最後の時には寂しくないように皆で見送ってくれました。


わたしが太郎を抱っこして胸に抱きしめながら、処置をしてもらうことになりました。

点滴を入れて先に眠る薬を投与して、眠っている間に心臓の動きを止めるお薬を入れました。

撫でるだけで痛むような感じだったので、体位交換以外の時はここ何日も触れるか触れないかくらいにしか撫でてあげられなかったのでしたが、最後にわたしは太郎を強く抱きしめながら、口でしゃべることはもうただ『太郎、ごめんね』しか言えてなかったけど、、
心の中ではもっともっと謝っていました。
『ごめんね。ごめんね。辛かったね。我慢させてしまってごめんね。』と。

抱っこしていたのに、何時止まったかわからないくらいにしずかに心臓が止まりました。

その死の時は、ほんとうに安らかなものでした。

2004年7月24日、私の腕の中で太郎は亡くなりました。
享年13歳。生きていれば9月で14歳になるところでした。



安楽死と言う選択を最後の最後で選びましたが、そのことについては
今でも一回も後悔したことはありません。
それだけ安らかな眠るようなものでした。


後悔していて今でも苦しむのは、違うことばかりでです。



私は何か間違えたのかな?

もっと何かしてあげることがあったかな?

太郎はどうして欲しかっただろう・・・?

治療を選択していなかったら、ほんの少しの時間でももっと元気に有意義に過ごさせてあげられたんじゃないか?

最初の治療のころ、まだ元気で何でも食べようとしてた時に、太郎の好きな物を何でも欲しがるだけ食べさせてあげれば良かった。

弱りきる前に治療を止めてあげていれば、もっと違ったのだろうか?

もっと早い段階で苦しみから解放してあげれば良かったんじゃないだろうか?


そんなことを今でもふと考えては自分で苦しむときがあります。


また、
もし、今度、今うちにいる子がまた太郎と同じ病気になったとき、
私はどうするだろう?
どうしてあげたほうがいいんだろう?
と、考えることもあってそれがまた自分の中で確たる答えが出ていなかったりして。

どうか、そんな病気にはならないで欲しい。

何時までも元気で長生きして老衰を目指して欲しい。

どうか太郎、あなたの仲間を守ってやってね。




太郎を亡くしてまだ苦しむのは自分でもどうしても止められないけど、

今は太郎がきっかけになったボランティア活動をしたり、
太郎と同じ雑種の子たちを救うことにより、何か許されるような、そんな感覚?
太郎のいない悲しみから少なくとも一番ひどい状態から立ち直れたと思えるようになったのは太郎がきっかけになったボランティア活動だったかな。
・・ということは、結局は太郎がわたしを救ってくれたのかな?

そんな気がする。

太郎に会えて本当に良かった。幸せだった。

絶対に忘れないよ。


いつかまた会う日まで。


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今のおうちに引っ越してからの太郎

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こういうベッドの上が好きでした

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クリスマス前に皆で写真を。

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太郎の部屋です。
抗がん剤治療しているので、おしっこに発ガン物質が流れ出ているため、ほかの生き物には害になるのでワンコたちとは一緒に出来ませんでした。
おしっこシートを片付けるときも手袋をしておしっこが手につかないようにしなくてはいけませんでした。

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太郎はガムが大好きでした。
だから歯が何時も綺麗で歯石取りすらしたことないのです^^

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病院にいく途中の車での太郎

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今日は違う車で病院へ

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2月28日にいとこたちやワンコたちつれて那須の別荘に行きました。
そのときの太郎です。
長い時間かかる移動に太郎が可愛そうかと思いましたが
どうしても一緒に雪の時期に旅行に行きたかったのです。

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雪がとても似合います。
自慢の尻尾の毛は弱いお腹が治療で調子が悪くなってしまい
汚れがちになってしまって;0;
何時も綺麗好きな太郎だったので、やむなくカットしました。

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尻尾カットして怒ってる?^^;

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無理やりアップ

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治療して1ヶ月半くらいのころの太郎。
このころはまだ足元もしっかりしていました。

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雪に溶けてしまいそう

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治療の半ばほどくらいだったかな?
両腕は毛刈りしてプードルさんのようです。
毎回の点滴や輸血で両腕だけでは難しくなって、
首のところも毛刈りして、そこから、輸血したり点滴したりもしました。

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免疫が下がっているため、お鼻の回りに真菌で
禿げてしまったね;0;

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白いお花でいっぱいに。
安らかに眠っています

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太郎のお葬式の祭壇
太郎のために見送ってくれる人がたくさん来てくれました。
みんなに愛されていました。

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代々木の私の部屋のベッドでくつろいでいる太郎
ほんとはもっとくりくりの可愛いお目目なのに、写真嫌いのため
目が小さくなっちゃいます;0;

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あなたは自慢の子です。いつまでも。

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写真は色褪せようとも思い出は褪せたりしないよ。

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いつまでも愛してるからね
わたしの子供になってくれて本当にありがとう。



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2007年07月23日

もうすぐ3年・・太郎の思い出1

2007年07月23日



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行方不明の太郎君、引き続き捜索していますぴかぴか(新しい)
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「MY LIFE WITH THE DOG」

上上しあわせな犬たちのポストカード、
ふ〜みん家・もも獣のおかん様のご尽力にて
保護犬たちを救うための医療費その他の費用の助けになるようにと
考案・デザイン・作成をしてくださいましたぴかぴか(新しい)


また、直販でのお取り扱いはしております。
ふーみん家にお近くの方、よろしくお願いいたします

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※お買い求めいただければ、代金の一部が「処分されつづける犬を救うための活動費」になります。

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うちの娘・華(元保護犬で〜す)もポストカードになってるよ〜るんるん

内容等、詳しくはコチラをみてね!!ぴかぴか(新しい)




<もうすぐ3年・・太郎の思い出1>



日記サボっていた土曜日はふ〜みんちに行ってきましたぴかぴか(新しい)
卒犬・エルちゃんとエル母さんとも会えて楽しい一日でしたぴかぴか(新しい)

日記でその様子を書こうとおもっていたんだけど^^;
連日の睡眠不足が祟り^^;
更新できず、だけどそのくせやっぱり朝までまた起きてしまった^^;
(不眠症ど真ん中でございます^0^;)

ほんとは今日繰り上げて書こうかと思っていたんだけど・・・

実は前から書こうとおもっていた亡くなった愛犬との思い出を
彼の3回忌にあわせて書こうと思っていたのです。
今日から彼の命日である7月24日に合わせて数回にわけて
書いていこうとおもっています。


昨日のエルちゃんとの再会などの様子は『ふみばか日誌』でみれまするんるん
わたしが書きたいことがそのまま美しい写真で掲載されてますので
みてねかわいい




2004年7月24日に13歳で太郎が永眠してから、もうすぐ3年たちます。

こうやって思い出しながら「その当時」のことに触れようとするだけで
3年たった今でも昨日の事のような心の痛みがよみがえって来て、
胸が引き裂かれそうに辛くて辛くて、悲しくて仕方なくて、涙がどうにも止まらなくなります。

だけど、太郎の事をきちんと書くことは今後のわたしのためにも
必要なんじゃないかなとずっと思っていたことだし、あのときの想いをきちんと文章に残しておきたいので、長くなりますが書いていこうと思います

今日は太郎との出会いや思い出を先に書きます。


太郎がうちに来たのはわたしが大学生のときでした。
そのころ、うちにはすでにピレネーの母子2頭(シェル・さくら)と柴雑種犬・テリーの3頭がいたのですが、
兄が車で神戸に遊びに行ったときに、紀州犬の子犬として1万円で売られていた真っ白いふわふわの子犬を東京の我が家に連れてかえってきたのです。

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ちっちゃな太郎ちゃん揺れるハート
白ホワ・立ち耳・つぶらなまあるい優しい瞳が最高に可愛い子でした
当時はやっていたオグリキャップのぬいぐるみと比較してみても
やっぱりちっちゃかったね〜可愛すぎ〜
(このころの写真はみんなフィルム写真で、妹のだんな様にスキャナーで
取り込んでもらっちゃいました〜協力ありがとう〜かわいい



まだ1ヶ月〜半くらいの、あまりに小さなほわほわの可愛い子に、わたしたちはすぐに夢中になりました。
名前は最初兄が洋風の名前をつけていたんだけど、誰が言い出したか想い出せないけど、いつの間にか『太郎』という思いっ切り和な名前にすり替わっていました^^;


兄は勝手な人で、どこかで子犬をもらってきては(または買ってきてはーー;)ほんの初めのころだけ可愛がっては、あとは我関せずを決め込み、世話はわたしやうちの人に丸投げして押し付けるという、ほんとに困った人なのでした。(グリコ・太郎・ダックス秀吉、ウサギたちは兄が連れてきた子でした^^;)

だけど、兄もたいがい無責任なひとだったけれど、今こうして思いおこせば、あの当時たぶん雑種の子犬の貰い手を見つけるのは今よりも難しかったのではないかと思うのです。
無責任極まりない人ではあったけど、貰い手をさがしている小さな命を見捨てておけないと、兄なりにおもって連れ帰ってきてたのかなとおもうと責める気持ちもあまりおこらないのが我ながらなんだかな〜とおもってしまうのですが^^;

それに、兄が太郎を連れて来てくれなければ、こうやってあんなに素晴らしい子に出会うことがなかったのだと思うと、今ではその点では本気で感謝しているくらいです。


ちっちゃな太郎はとってもおとなしくてびびり〜な子でした。
小さなときは妹の部屋で過ごしていた太郎。
はじめのころ、まだうちの人にも慣れないときなど、妹のベッドの下の隙間に入り込んでなかなか出てこなかったのをよく覚えています^^;


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妹の部屋のベッドの下に隠れるのがお気に入りだった太郎
今考えてみると、太郎ってほんとに大人しくて手のかからないちびちゃんだったな〜ぴかぴか(新しい)

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妹の学バンを薄くするのに協力的だった太郎ちゃんわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)
このカバンの上で寝るのが大好きだったね・・・
ベッドの隙間を漫画雑誌で入り口をガードして中に入り込まないように
してたんだっけ・・・^^
なんか懐かしい・・



うちの父は昔の人間で「犬は外飼い」という考えの人でしたので、
太郎も成長したのちは、そのころの先住犬だったテリーといっしょに家の庭に係留&庭に放し飼いをしていました。

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何ヶ月くらいのころかな?
ちょっと富士額はいってますね〜

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テリーおじいちゃんに絡むたろちゃん^^
テリーは昔堅気な柴犬の血が濃かったせいか、血のけが多くてオス犬嫌いなところがあったけど、太郎の事は可愛がってくれてたのよね^^

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テリーと太郎


一緒に過ごしていたテリーが17歳で亡くなったあとは、太郎は係留せずお庭で自由を満喫して過ごすようになりました。
ひとりで暇になったせいか、自分のおやつやフードを芝生の真ん中にわざわざ置いて、庭の池にかかっている太鼓橋や岩場の上でじっと身を潜め、それをカラスが取りに来るのをおびき寄せてハンティングの真似してあそんだり(だけどカラスの方が上手だから必ず2羽で太郎の気をひきつける役割と獲物をとる役割と分業してたからいつも持っていかれちゃうのでした^^;)、庭で履く靴や鉢植えを芝生のど真ん中に並べてオブジェのように飾って眺めるのが趣味だったり、そんなひっそりとした楽しみをもつ非常に可愛らしい子でした^^

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太郎のお気に入りスポット

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池に架かる太鼓橋の上も好きで、よくここでお昼寝してたっけ^^;
ここからカラスをじ〜〜っと狙っていることも・・・


成犬になってから太郎は雷がすごく苦手になって、雷がなると家に飛びこんでくるようになり、それからは父もある程度家の中に入れる事に寛容になっていたので、入りたがるときは家に入れたり、私の部屋に連れて行ったりしてました。


とても繊細だった太郎は雷系の音が一切だめで花火とか爆竹の音が聞こえるともうパニックに陥って可愛そうなくらいでした。
あと、お散歩のときにわたしがちょっとでも靴を地面にズズっとこする音を出すだけでものすごくビクッと怯えられちゃったり^^;

太郎は小さいときからすごくいい子で、誰かに何かで怒られる事なんて一切なかったにもかかわらず、手をただ上にあげて自分の髪をかきあげようとした普通の動きにびびってはものすごい悲鳴をあげられ、何もしてないのに虐待しちゃったみたいに太郎に責められることもあったな〜^^;あれはわたし的にすごくショックでしたよ^^;
こんなに大事に可愛がってるのにって^^;
だって一回だって叩いたりした事なんかないのに、見当違いのところで怯えられちゃったのは;0;
こういう手を上にあげるという動作に対しては、年をとるほどだんだん
慣れるようになって大げさに悲鳴をあげるような事はなくなったけどけど、やっぱりそれを見る太郎の目元はシバシバすぼめられて体をぴくっと震わせるのは晩年になるまで治らなかったんです。
だから、病院にいったりすると先生や看護師さんにもそういうふうに怯えたりするから、なにかうちで虐待しているのかと勘違いされそうになったことも^^;
わたしだって、初めて会ったときから太郎が13歳(もうすぐ14歳だったね)で亡くなるまで一度だって手をあげた事など誓ってなかったんですよ。ほんとに〜〜;0;
それなのにさぁ〜〜;0;ほんとに悲しかったよな〜〜;;

何かうちに来る前に恐い思いをしていたりしてそれがトラウマになっていたのかとかなり心配して、怯えさせないように太郎の前ではなるべく腕をひじから上にあげないように行動したり^^;
太郎がそばにいるときは急な動きをなるべくしないようにそろそろとゆっくりとうごくようにする努力や
足を地面に引きずって歩く癖を直して静々とお散歩するようにしてかなり神経使った成果が上がってきたのか、私に対してはほかの人よりも断然恐がるそぶりがなくなってきました^^;
可愛い太郎が恐がるのが不憫でたまらなくなることがほんとにつらかったからな〜


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成犬になった太郎
たぶん1歳そこそこくらいのころかな
すごくふさふさの真っ白い柔らかな被毛が見事で
特に風になびく美しい太郎のお尻周りとしっぽの毛がほんとうに大好きで私の自慢でした。
その写真がないのがものすごく残念;0;
何でもっとたくさん写真を撮っておかなかったのかとものすごく後悔しています。

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この美しい毛ぶきだったのに、一度母に『夏暑そうだから』ってはさみでばっつんばっつん小汚く刈り込まれてから、美しい毛が生えそろうまですごい時間がかかって、『私の太郎の美しい毛をよくもむかっ(怒り)』と
いまだにそのときの事を思い出すだけで悔しい思いがわいてきますーー;むかっ(怒り)

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雷のときや夜寝るときに部屋に連れて来たり・・・
雷のとき以外の太郎は扉の前に陣取ってあまり動かず、熟睡することもなく、外に出たそうにしてたっけ・・・
ずっと太郎を室内犬にしたかったわたしはそんな控えめな太郎が残念なような複雑な気持ちで見つめたものです
一緒に写っているのはちびっこのときの綱吉です^^
若いわ〜




でも父が亡くなって、長年住んでいた家をマンションに建て替える間(約3年近く)代々木に仮住まいしていた間に長年の念願叶って、太郎を完全室内飼いに慣らせることに成功しましたぴかぴか(新しい)

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お散歩から帰ってきたとき、大人しく足を拭かれている太郎
拭いているのは私です^^

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(代々木に仮住まいしているとき)
わたしの部屋で熟睡している太郎


代々木の私の部屋が太郎の部屋になり、こうやって落ち着いてそばで寝てくれるようになったのがどんなにうれしかったことかぴかぴか(新しい)
昼も夜もずっと一緒に家の中で過ごすようになってからは
今まで気づかなかったちょっとしたしぐさをいつでもそばで見る事ができるようになって、太郎の可愛さ・太郎に対する愛情がますます増していきました。
もう自分でも恐くなるくらい太郎が愛しくてたまらなくなり、どんどんのめり込んでいったな〜

こういう太郎をもっともっと早くから知っていたかった・・・
父に逆らってでも、もっと最初からこうしていればよかったとすごく、ものすごく後悔したものでした・・


家の中では慣れない最初のころは何時も私にくっついていたりしていたけど、
それも慣れてきてからは私の部屋でひとりでくつろぐこともできるようになって・・・
朝晩のお散歩にいきたくなると、私の目の前に来て体をぐぐぐ〜〜っウォーミングアップするようにのびをして、お散歩に誘うんですよ^^
でもそれを無視していると、今度は『うぉ・・うぉうぉうぉ〜〜〜ぉぉ〜〜』って小さい遠吠えで文句を言うのがすんごく可愛くて、その声が聞きたくてわざわざ意地悪しちゃうこともあったな〜^^;

そうそう^^。
太郎ってワンワンとは吠えなかったよね。
狼のように遠吠えする声が太郎の鳴き声だったんです。
女の子のように愛らしい可愛らしい見た目とちょこっと反比例する男の子らしい落ち着いた低い声もほんとに大好きだった。


お散歩に行ってもすごく穏やかでどんなワンコともご挨拶できる性格の良さはぴか一だったね・・・ぴかぴか(新しい)(だけど例外ではハスキーの男の子だけは嫌いだったのよね^^;)

足の悪かったピレネーのさくらちゃんと一緒に散歩していたころは
ゆっくり歩くさくらの歩調に、ちゃあんと合わせてくれて・・・
だけどそれが可愛そうだったから太郎の引き綱は自在に長く伸びるフレキシリードで散歩していたけど、さくらを気にするように後ろを振り返り振り返り、2メートル以上離れると、何も言わないでもそこに立ち止まって待っていてくれたりする、心の優しい子でした。
それだけじゃなく、さくらが生きていたときは一緒に食餌をさせていたのですが、
太郎はさくらよりも年上であるにもかかわらず、さくらが食べはじめるまで絶対自分の食餌を食べないでずっと待っている紳士のような態度には、いつも皆が感心して褒めていたっけ^^

もうそのころには恐がりもだいぶなくなっていていて、足をズズ・・っひきずる音を出しちゃっても怯える事もなくなったし、腕を高くあげるのを見てもひどい反応はしなくなっていました^^(だけどほんのちょっとだけ目元がしばしばしてたけど^^;)

だからお散歩で褒めてくれる人や可愛いと触ってくれる人にも恐がることなく、逆にあの美しい優雅な尻尾をフリフリしてご挨拶して、誰にでも可愛いと褒められたよね^^

歩く姿は子馬のようにギャロップしているような、ちょっと特徴のある流れるように優雅な足取りや、風になびく美しい尻尾の後姿が大変美しいと良く褒められたっけね揺れるハート
そんな太郎ちゃんがほんとに私の自慢だった・・・・
お散歩のたびにわたしは太郎の綺麗な後姿に見惚れていました。


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カメラがすごく苦手だった太郎^^;
彼を写真や動画で撮ろうとすると顔を背けて、逃げていくくらい^^;
この写真は顔を背けようとするところを無理やり前を向かせて撮った写真^^;
だって太郎の可愛いお顔を撮りたかったんだもん^^;


太郎057.jpg

ああ〜〜なんでこんなに可愛いんだろう〜〜〜〜
こんなに可愛い子は探したってどこにもいないって思ったものです^^;
もうこの子が自慢で自慢でたまらなかった・・・





何でこんなにいい子なんだろう・・・
何でこんなに可愛いんだろう・・・・
太郎の優しい黒目がちな澄んだ瞳が大好きで、マズルが太くて丸いのも食べちゃいたいくらいに可愛くて最高に好きでした揺れるハート

穏やかな性格が愛しくてたまらなかった・・

太郎に出会えて本当によかった・・・ぴかぴか(新しい)
うちの子になってくれてほんとうにありがとう・・・ぴかぴか(新しい)
ずっとずっと元気で長生きしてねぴかぴか(新しい)
ずっとそばにいてね・・・・

・・・そう思わない日がないくらい愛おしい子でした。

やっと以前住んでいた家に新しい住まいが立ち上がり、太郎にとってもやっと懐かしい場所に戻って、今まで以上にいろんなところにつれて行って楽しい事を経験させてあげよう・・・
もっと幸せにしてあげたいとおもっていました・・・

これからもずっとずっとずっとそばで一緒にいられるのがうれしくて仕方なかったのに・・・・


まさか、そんな幸せな日々が突然暗闇に閉ざされるように辛い日々が私や太郎に待っているなんて、まだこのときは思ってもいなかったのでした・・・



あしたにつづく・・・



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いとこたちと一緒に川原でバーベキューしに行ったときの太郎
この日は暑くて、暑がりの太郎にはちょっと辛かったね^^;

太郎は被毛が豊富だったせいか、暑いのがすごく苦手でした。
だから夏場は冷房ガンガンで温度設定は19℃〜20℃が太郎がハアハアしないベストな温度^^;
その寒さに一緒にいると慣れちゃうんですよね〜ありがたいことに^^;寒いとあまり感じなくなったっけね〜^^;
冬はそんなだから、暖房なんて以ての外・・・;0;
暖房なんてつけた事ないっすよ^^;
寒かった〜〜あたしの部屋〜台風
冷房は結構平気だったんだけど、
冬の乾燥した冷気はなんだか寒いと感じるんだなって冷房との感じ方の違いが面白かったわ^^;
こんなことを発見できたのも太君(太郎の『太』を『たい』とよんで『たいくん』って呼んだりしてました)のおかげだったね^^

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逗子の海辺を散歩している太郎

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こういうふうに捕まえないと前からのアップ写真が撮れなかったのよね〜〜とほほ・・・;0;
このときに一眼レフの事を知ってたらな〜って後悔ばかり・・

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ただのデジカメ写真でぼやけてますが、太郎の後姿
カメラを持っているだけで尻尾を下げて逃げてくからほんとの綺麗な
太郎の後姿が撮れなかったな〜;0;
くすん;0;

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部屋の扉を閉めて逃げられないように写真を撮っているところ^^;

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この嫌そうな顔^^;
カメラに撮られると魂吸われるとでも思ってるのかと^^;
ほんとはフラッシュの光が恐いんだよね^^;
フラッシュたいてなくてももうカメラ自体が嫌いになってました;0;
(携帯のカメラでさえ・・・;0;)

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いとこに抱っこされてる可愛い太郎

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わたしと太郎・・・





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ニックネーム 華ママ at 17:09| Comment(16) | TrackBack(1) | うちの子日記・過去編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月30日

うちの子日記過去編パート6・・シェルその@

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シェルの話。
当時わたしがだいたい17歳くらいの時、うちにはテリー、シーザー、グリコの3頭がいたころのことです。小学4,5年だった妹が渋谷の東急本店の屋上で沢山の犬猫の展示会のような催しを見かけ、そこにいた一頭のメスのピレネー犬の子犬を見初め、父にシーザーのお嫁さんに欲しいとねだったのでした。当時、とてもいい子できれいなシーザーの子供が欲しいねと漠然と考えていたころで、そんな時にピレネーのメスに出会えて、(その当時、ピレネーはまだ稀少犬種)これがチャンスと妹は父に猛アタックを開始したのです。はじめは確か、だめだと却下されたと記憶しています。しかし、妹の粘り強いおねだり攻撃に、娘には弱い父・・・ついに陥落したのでした。
そうして、父を東急に連れて行き、念願の子犬を買ってもらい、うちに連れて帰ってきたのでした。
この子は、とてもおとなしく、おっとりおしとやかな子でした。でも、うちに来る前からお腹を壊していて、なんだか、子犬にしては元気ない?かな?くらいで、特にあまりきにしなかったのでした。
でも、このことが、後に大変なことになることなど、分からなかったし、考えてもいませんでした。
レディ・シェルと名前をつけられた子は、最初しぶしぶ買わされた父もかわいくて、夜中にこっそり様子を見に行ってはおやつをあげたりするほど気に入られ、すぐにみんなのアイドルになったのでした。
しかし、お腹の調子が良くないのが続き、そして、ある日突然何も食べなくなり、とても匂いのある血便をし始めたのです。
当時、うちは目白にある動物病院をかかりつけにしていて、(殆ど往診でお願いしてました)すぐに往診に来てもらったのです。診察の結果、すぐにレディを病院に連れていき、治療が必要との診断が下され、レディは行ってしまいました。
この当時、わたしは大学受験の真っ只中でレディのお見舞いにもいけず、毎日面会に行っていた母と妹からレディの様子を聞くだけしかなかったのです。
一週間が過ぎたころ、母からレディは良くなったけど、体が弱い子なのでほかの元気なメスがいるので交換するとペットショップの方がレディを引き取っていったと聞きました。わたしは元気になったんならレディでいいと言い張ったのでしたが、すぐに新しい女の子がレディの代わりに連れてこられたのでした。
その子は、とてもレディよりも小さいうちに来たのですが、レディとは正反対にとっても元気いっぱい過ぎて、わたしのスカートに食いついて離れないようなやんちゃ娘でした。わたしはこの乱暴な凶暴娘がすぐに好きになり、手を傷だらけにしながらよく遊びました。
この子はレディ・シェルから名前をとり、「シェル」と名付けられました(やんちゃすぎてレディとは付けられなかっただけ)

わたしの受験も終わり、落ち着いたころ、母と妹から「実は・・・・レディちゃんは・・・本当は亡くなってしまったのよ」と告白されたのでした。母は受験中の私の心を乱さないよう、うまく嘘をついたのでした。「だましててごめんね」と、でもほんとにつらかったんだと母も妹も言っていました。わたしもレディがなくなったことを知り、泣いてしまいましたが、わたしに知られないよう、こっそりとレディを弔ってくれた母や妹もどんなに悲しかったか、悲しくても知られないようにしなければならなかったみんなに申し訳なく。何より、レディに申し訳なくて仕方なかった。

レディはパルボで亡くなったようです。なぜ、ペットショップから来た子がパルボになって死ぬんだろうと不思議で仕方なかった。うちに来る前にワクチンは一回終わっていたはずなのにと。
後から知ったのですが、ペットブームに乗って、増えた劣悪なブリーダーが増え、ろくにワクチンをうたない業者のせいでパルボなどの伝染病が蔓延する事があったそうです。レディはその犠牲者になったのでした。
でも、あの時もっと早く病院に連れて行って上げられればレディは死ななくてすんだかも知れないと思わずにはいられません。
その時のことがあって、ひとつ学んだことは、「ワクチン侮るなかれ」
うちではその時から、子犬から飼う場合は、必ず4回のワクチンを行うようにしています。

うちの妹がシェルから得た教訓・・「決してアルファにするなかれ。ボスはわたしだ」妹は、お転婆シェルに過去3回マジ噛みされたこともあり(妹はシェルになめられていました)、「レディが生きていたら、どんなに大人しくていい子に育っただろうに」とか、「レディはほんとにいいこだったよね、デビル・シェルと違って」と冗談でよく言ってました。そして、シェルに嘗められて痛い想いをしたので、今度犬を育てる時は決して嘗められてたまるものかと、それ以来、犬の教育はわたしより厳しいです。


亡くなったレディ・シェル

ニックネーム 華ママ at 21:58| Comment(0) | うちの子日記・過去編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うちの子日記過去編パート5・・グリコ

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今うちの子日記を書いていて思うこと。ほんとにうちは犬のいない年月って、わたしがほんの5歳くらいまでの間だけだったんだと今更ながら気づいてしまった。
そのうちのアポロに始まり、テリー、シーザー、これから紹介するグリコに、シェル、太郎、さくら・・・・今はみんな亡くなってしまっているけれど、みんなそれぞれ思い出があり、一緒にいた日々が今はとても懐かしいし、そして、それぞれに「もっとあーしてあげればよかった。こーしてあげれたのに」と悔やむこともものすごくあるのでした。
わたしが実質的に犬の世話(体調管理、ご飯やり、散歩、シャンプー、などもろもろ)をすべてするようになったのは、25歳になって、初めて自分の働いたお金でショップで一目惚れしたダックスの綱吉が来てからでした。でも綱吉が来てからも今までいた太郎とさくらは、お散歩やシャンプーや病院の通院などには行ける時は一緒について歩いたけれど、それ以外は、今までの習慣で運転手さんの仕事のうち(副収入として、父が頼んでいた)であったので、散歩、食事、フィラリアの薬の投薬、小屋の掃除などは、父が亡くなるまでは任せていたのでした。でも、自分ではじめて一から犬を育てていくことでこんなに大変で、知識の要ることだとその時になって初めてきづかされたのでした。
わたしがもっと早くから、人にまかせたままにしないで体調管理をしっかり行っていれば、グリコ(享年6歳)やシーザー(享年13歳)、シェル(享年9歳)はもっと違う亡くなり方をしたのではないかと思わずにはいられない。

一番早死にしたグリコはわたしが13歳のとき、兄が貰って来た紀州系のミックスで、真っ白な体毛のくりくりした眼がかわいい女の子でした。
兄は、小さいうちは自分の部屋にこっそり入れてはかわいがったりしていましたが、いつもはじめだけで後は見向きもしなくなるような人でした。
(兄はその後も太郎やダックス秀吉を連れてきては、後は知らん顔を決め込んでいました。ほんとに最低な人でした。)
この子はちょうどグリコ森永事件のあったころに貰われてきたことで、「グリコ」と名付けられました。
グリコはテリーと一緒にお庭側で暮らし、この後、避妊が遅れてしまい、テリーとの間に5頭の赤ちゃんが生まれました。この5頭のうち、1頭は神戸の六甲山にある別荘の管理人夫婦の元に行き、あと4頭は兄の友達の家や母の親戚のところに里子にいきました。
5頭が巣立った後すぐに避妊手術を行ったのですが、それからというものどんどん太っていったのです。肥満が原因だったか、よくわからなかったのですが、グリコは6歳にして早いうちに亡くなりました。
もっとグリコの普段の体調に気をつけていれば、早すぎた死は防げたでしょう。
今、わたしは7頭のダックスと一頭のミックスを育てていますが、以前の失敗を繰り返さないように年一度の健康チェックとフィラリアは3月から11月と早めに飲ませています。ワクチン(狂犬病も)は3月のフィラリアの検査と同時に行うし、フードもドッグフード、それもスーパープレミアムフードしか与えないし、太り気味の子はローカロリーフードにしています。
それでも、どうにもならない腫瘍で亡くなってしまう子もいました。今、わたしは8歳以上の子は月一回の血液検査をしようかと考えています。大変だけれど、予防は大事だと思うし、今まで、飼って来た子により、「後悔後にしてならず」という教訓を授かったこともあり、何かおかしいなと思えば早めに病院に連れて行くことにしています。
長年犬がいても、未だにわたしは未熟な飼い主だと思うし、日々、いろいろなアクシデントや発見があり、学ぶことが多々あります。
早くしてなくなったグリコたちのためにも今ある命を大切にしていきたいと思っています。

ニックネーム 華ママ at 21:55| Comment(0) | うちの子日記・過去編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うちの子日記過去編パート4・・アポロそのA

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アポロとの別れはある日突然やってきた。
その日はとても暑い夏の日だったのを覚えている。
わたしはその日が別れの日(というか、うちからいなくなるということ自体知らされなかった)ということをまったく知らされていなかったのです。
父の工場の大きなトラックが家の前に停められ、トラックに乗ってきた人が、アポロを静岡の工場に連れて行くというのです。その日は確か日曜日だったのか父も家にいました。わたしと妹は「どうして?!何で?!!」「アポロを連れて行かせないで!!」と必死に父に食い下がりました。でも父は「アポロのためなんだ」「静岡の工場は緑がいっぱいで気候がよく、病気のアポロの療養所にはいい所なんだよ」「ここよりも広い敷地で自由にのびのびとくらせるんだよ」「みんながよく面倒を見てくれるし、寂しい思いはしないから大丈夫だよ」と説明されたけど、わたしたちはとても納得などできませんでした。まるでシーザーが来たから、要らなくなった犬みたいによそへやってしまうようで、とても耐えられなかったのです。
「アポロはうちでも良くなるから、シーザーと一緒にうちに居させて」とお願いしても「東京の夏は体の弱いアポロにはとてもつらいんだよ。小屋も狭くて湿気がこもるし、2匹では狭くてかわいそうだ」というのが父の返事でした。
そうこうしている内にアポロが連れてこられ、トラックへ乗せようとするのです。わたしたちはアポロに行かせないようコアラのように必死にぶら下がりましたが、父に引き剥がされました。
アポロもどこかに連れて行かれるということに勘づき、彼も必死に「乗りたくない」と踏ん張って、抵抗して・・・そして、鳴くんです。あのアポロが・・・・いつも大人しくて従順だったアポロが・・・子供のように・・駄々をこねるように「いやだ、いやだよ」と泣き叫んだのです。わたしは、あれほどの悲しい叫び声はもう二度と聞きたくないです。それくらい、喉が張り裂けんばかりに鳴いていました。
わたしと妹も泣きました。わたしは子供のくせに人前で泣いたりすることが恥ずかしいことだとその当時思っていて、何か悲しいことがあっても一人でひっそり、部屋の中で声を押し殺して泣くような子供でしたが、その時だけは道端で地団太踏んで大泣きして「パパなんか嫌いだー大嫌い」と激しく父を責めました。
それでもわたしたちの言葉は聞き入れられることなく、力ずくで乗せられたアポロは静岡に連れて行かれてしまったのです。
後のことはあまり覚えていません。子供にとってあまりにも悲しい思い出は記憶から削除されてしまうものか、思い出そうとしても思い出せなくて・・・・・
とにかくどれくらい後のことだったかは覚えていないのですが、わたしと妹と母と運転手さんは静岡にアポロに会いに行ったのです。
わたしは久しぶりに会えることにうれしくて、舞い上がっていたのを覚えています。きっとアポロもわたしたちに会えることをどんなに喜んでくれるだろうと子供心に期待していたのです。
でも、わたしたちにあった時のアポロの反応はとてもそっけないものでした。まるでわたしたちのことなんか忘れてしまったように知らん振りして、しばらく小屋から出てこようとしなかったのです。わたしはそのとき、ほんとにアポロはわたしたちを忘れてしまったんだと思ったのでした。
でも、そうではなかったのです。
しばらくして、のっそりと出てきたアポロは懐かしそうに尻尾を振りながら、よってきてくれたのです。みんなに挨拶するようにしてアポロはわたしのところに近寄ってきてくれました。
でも、彼の次の行動にわたしを含めた傍にいた人々が驚くような行動に出たのです。
アポロはわたしのスカートの布をくわえてスカートごとわたしを振り回したのです。
アポロはわたしを含め、人間に対してそのようなことなど一切したことなどない、遊びですらじゃれたり決してしない犬でした。それが、いままで初めてアポロに乱暴に振り回されたのでした。その行為自体で体に傷つけられたわけではないし、ショックは受けなかったけれど・・・アポロがわたしたちを責めているんだということにショックを受けたんだと思います。
そう・・・アポロは怒っていたんです。その怒りは一番仲良しだったわたしに向けられたのでしょう・・・・「どうしてこんなところに連れてこさせたの?!」「どうしていままで会いに来てくれなかったの?」「寂しかったよ」って、責められたようでとても辛かった。わたし以上にアポロの心は傷ついていたんだということが、申し訳なくて、かわいそうで仕方がなかった。
ほんの少し振り回しただけでわたしのスカートをすぐに自ら離して、また彼はふいっと興味をなくしたように自分の小屋に戻っていきました。
わたしは誤るしか出来なかった。
それがアポロにあった最後でした。彼は気候のいい静岡でその後数年間生き、12歳という超大型犬としては全うした犬生を送ったのでした。
でも、静岡に行くことで長生き出来たのだとしても、本当は、彼は東京で・・わたしたちの傍で短くてもいいから、一緒に生きていきたかったんだと思います。そうしてあげられなかったことは、今でも辛くて、苦しいことです。
あの時、わたしがもっと大人であったなら、絶対どんなことしてでも連れて行かせなかったのに、っと今でも彼を思うと苦しくて辛いけれど、でも、二度とあんなことはしないためにも、絶対にアポロを忘れたりしないと誓いました。
今、わたしは大人になってやっとわたしの犬のために何でもしてあげられるようになりました。そして、アポロの分まで、うちの子を含め、ボランティアで救ってあげられる大切な命、不幸な犬たちを少しでも減らして行きたいと思うのです。

わたしのつたない文章力ではアポロへの想いは到底現すことが出来ません・・・大きな苦しみを伴うことでしたが、いつか、みんなに話したいことでした。わたしも結果的に飼っていた犬を見捨ててしまった最低な飼い主だったこと。ほんとはえらそうにボランティア活動など出来るような善人ではないこと。
そして、アポロには決して許されることはないだろうけれど、それでも、わたしはアポをいつまでも愛しています。決して忘れないから。

ニックネーム 華ママ at 21:53| Comment(0) | うちの子日記・過去編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うちの子日記過去編パート3・・シーザーその@

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今日はグレート・ピレニーズのシーザーのお話。
この子実は迷い犬だったんです。私は今34歳なのですが、この子がうちに来た(っていうか、つれてこられた)のは私が小学校4年生のころで、超大型犬を飼っていたのは近所でうちとあのアフガン軍団のいえ位で、まだまだ珍しいのでした。
そんなわけで、迷子になったか捨てられたか解らない、この真っ白いムクムクのアポロに負けない体格の犬が、うちのアポロではないかと連れてこられたのが最初の出会いだった。(でもねぇー。色も顔も違うのにサー、大きいのしか同じじゃないじゃん・・・って不思議でした)うちのアポロは家にいたし、すぐに違うのはわかったけど、
連れてきた人も困り果てていたため、結局私もこの大人しくかわいい犬が好きになり、飼い主が見つかるまで預かることになりました。
後にシーザーと名付けられることになるこの犬は、獣医さんに見せると大体1歳いくかいかないか位の若い犬でとても健康でした。体毛も薄汚れた感じじゃなく、よく手入れされていたようです。しかし、うちで警察署や保健所などにいくら問い合わせしても、結局飼い主は見つかりませんでした。周りで聞いてみたりしても散歩で見かけたこともない犬だと言われたようです。その当時、ピレネー犬は今ほど一般的ではなく、NHKのアニメ「名犬ジョリィー」でこの犬種は一般に知られることになるんだけれども、まだ後の話で、見たことも聞いた事もないくらい珍しかったのです。だから調べればすぐに見つかるものと思っていたのですが、甘かった。東京都でこのピレネーの登録件数は3頭しかいなくて、この3頭のうちのどれでもなかったのでした。
私は密かにうちの子になって欲しいと思っていたため、内心うれしかったんです。アポロとも相性がよく、一緒のハウスで仲良くしていました。でも、テリーはこの新入りが大嫌いだったようで(アポは先輩だし大好きだった)会うと大喧嘩になってしまうので、最後まで一緒にはできませんでしたが・・・・
そんなこんなで飼い主も見つからなく、保健所からもこのまま家で飼っていただければといわれていたし、何より父がシーザーを気に入ってしまい(父は白いものが好きでした。車も殆ど白だった)正式に家の犬となりました。
結局捨てられたんだろうけど、いったいナゼ????と思わずにはいられない。そのくらい、ほんとにいい子だったんです。訓練もはいっていたのかも(家でも訓練マニアの運転手さんが着合い入れて教えていたっけ。。。)大人しくて物静かで優雅なたたずまいの紳士然とした子でした。でも、なんだか最初話しかけても反応のあまりないような子で、言葉が通じないのか、天然なのか・・・・それに食べ物。なにをあげても食べなくて、いろいろ試したところパンが好きでそれは喜んで食べていました。おまけに、たぶん以前は家の中で飼われていたようで、目を離すとすぐに家の中に入り込んで、玄関にあった大鏡の前で優雅に横になった自分を何時までも眺めていぬような子でした(ナルシスト?)
このようなことをまとめてみると、どうやら日本に住んでいた外国人に飼われていたのでは?という推測に至ったのです。家の中で飼うのは今は一般的ですが、なにせこの当時は外飼いが主流な世の中。家の周りでもほとんど外。室内で飼われている犬は外国人が飼っている場合が多かったのでした。(あの4頭のアフガンも室内飼いで、飼い主は外国人だった)
もしかしたら、シーザーの飼い主さんはお国に帰るのに彼が邪魔になって捨てていったんでは・・・と勝手な推測をしてむりやり納得したのですが、実は本当にそういうふうにおいて行かれる犬猫は多かったそうなのです。勝手な話ですけどね。
こうして我が家の犬はシーザーとアポロとテリーの3頭になったのです。アポロはそのころ、心臓の手術も成功し、何かと皮膚病やら血便やら(何で血便がでていたんだろう?)相変わらずあまり健康とは言いがたかったと思いますが、元気でシーザーと一緒にお散歩に行っていました。

でも、この出会いがアポロとの別れになるとはわたしは思いもしていませんでした。
明日はアポロのお話。


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うちの子日記過去編パート2・・テリー

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前日セントバーナードのアポロのことについてお話したように、わたしの初めての犬の家族は当時6歳くらいのわたしには誰か大人の人がいなければお散歩にいけないし、遊ぶのも一人だとフェンス越しになでたり、アポのおうちの前に椅子をおいて二人でお話?(いや、わたしの独り言をアポちゃんに聞いていただいていたのが正解)するくらいで、近所にいた同じくらいの年頃の子供が紀州犬の赤ちゃんをだっこして歩いているのをすごく羨ましくて仕方なかったという思い出がある。「うちにもかわいいアポちゃんがいるもんね〜」と見せたくても一人じゃ外に出せないし、随分悔しかった・・
そして、一年近くが過ぎ、わたしが小学校2年生位のとき、学校の帰り道に会ううちのすぐご近所に飼われていた柴犬のチャコちゃんのところによく寄り道をしていた。初めて会ったのは学校帰りに年長の男の子たちがそのチャコちゃんをいじめているのを見かけ、普段は人見知りの内気なよわっちいわたしだったが、火事場のくそ力を出して、身をもってかばったのが初めての出会いでした。それから毎日チャコちゃんのところに給食のパンをもって行っては一緒に食べていたんです。このときチャコちゃんのお腹はすごく大きくて、赤ちゃんがいると言うことを子供心に察したんでしょうか?その辺はあまり覚えていないですが、わたしは毎日チャコちゃんにパンをあげてはお腹をさすり、「赤ちゃんが生まれたら、わたしにちょうだいね」と話しかけていた(チャコちゃんの飼い主さん談)らしいのです。そのときはほんとに貰えるなんてこれっぽっちも思っていなかったと思う。
でもある日、母が「ちょっとおいで」とわたしを玄関に連れていき、子犬を抱いたおじさんにあわせたのです。おじさんはチャコちゃんの飼い主さんで、偶然母の知り合いでした。毎日チャコちゃんに話しかけていたのを、こっそり聞いていたらしく、その話を知った母が、そんなわたしを不憫に思ってくれたのでしょう、生まれた子犬を貰ってくれたのです。わたしはうれしくて飛び上がらんばかりでした。
その子犬はテリーと名付けられ(そのころ好きだったプロレスラーのテリー・ファンク・ジュニアからいただいた)ました。
しかし、重要な問題が・・・厳しい父に2匹目の犬のことが知れたら、きっと「返して来い!!」と怒られるに違いないと思った母は、父に内緒でばれないようにかうことにしたんです。それが結構長い間、ばれずにうまく隠し通していたように記憶してます。でも結局二アレスミスで父とテリーが鉢合わせてしまい、「うわぁー、ものすごく怒られる」と身構えたのですが、意外な一言が・・「ふん!!わしゃ、しっとったわ。ばかめ」???みたいなようなお言葉が返ってきて、少しも怒られませんでした。父は厳しかったけど、とても情の厚い人なのでした。公認になってからは堂々とお庭で飼い始めたのです。
この当時、かれこれ20数年前はまだ都内でも外飼いが主流のころのことです。父もそんな考えだったし、そのころのわたしも疑問にすら思わなかったのだと思います。それでも子犬のころの短い間だけは家の中に入れていたのは覚えています。
今現在、わたしはボランティアをしていて、繋がれっ放しになっている犬やひどい環境にいる犬が未だにいることを知っています。その当時のうちのテリーの飼い方はそれに近いものだった・・・・でも、少なくとも、お散歩は朝晩2回行っていたし、ご飯に飢えることはなかったし、ほっぽりっぱなしではなかったのが救いではあるけれども・・・・今考えると、なぜもっとつないだ紐を長くしてあげようとは気がつかなかったのか・・・とか、いろいろあのころのことを思い出すと、自分の考えの幼さ、なんと気のきかない人間であったことだろうと思うと、消えてなくなりたくなってしまう・・・・あの時、テリーはアポロと仲はわるくなかったんだから、(オス同士だし)一緒にアポのおうちに入れてあげていたら、繋がなくてすんだのに・・・どうしてだったんだろう・・・・・解らない・・・・・と自己嫌悪に陥ってしまうのだ。何であの時アポロと一緒の小屋に入れなかったのか、母に聞いてみても、どうしてだったんだっけ?とこんな感じだった。
ほんとに犬を飼うことについての意識が低かったのです。今は亡くなってしまったけれどテリーやその後仲間になったグリコ(女の子ミックス)に申し訳なかったと思わずにはいられない。そんな無神経な子供だったくせに偉そうなことはいえないが、だからこそ、今でも同じように繋がれている子たちをみると何とかしてあげたいと思ってしまうのは、こんなきっかけがあるせいでもあるのです。
なんて、テリーのことから話がそれてしまいましたが、テリーのことに戻っちゃいます。
テリーと言う子は親の贔屓目だと言われてしまうかもしれないが、とても美形のミックスでした。そしてとても喧嘩っ早いこでしたね。お散歩のとき、テリーには天敵がいました。近所に飼われていたボクサーのブラッキーとはいつもお互いがなりあっていたし、何度かリードが離れていたブラッキーと流血の喧嘩を繰り広げていました。体格は違えども決して負けない最強ファイターのテリーはわたしの自慢の兄弟でした。後、近くの公園にいた野良猫ちゃんもテリーにとっては許せない存在だったんでしょうね。猫ちゃんにばったり会うとほんと抑えるの大変でした。負けん気の強さはぴか一でしたね。
ある日のエピソード・・・わたしが自転車でテリーとお散歩していたとき、つながれてない2頭の大きなアフガンハウンドがその自転車に向かって追いかけてきたんです。わたしは怖くなって一生懸命逃げようと自転車をこごうとしたのですが、テリーが立ち向かう体制に入っていて、うごいてくれなかったんです。もう、「噛まれて死んじゃう」と観念したとき、その2頭はちょこっとわたしたちの匂いを嗅いだら、さっさと走り去っていきました。わたしはものすごく恐ろしい思いをしたのに、テリーは平然としたものでした。喧嘩っ早いはずのあのテリーが喧嘩せず見逃すなんて・・
後々考えてみたら、あの時自転車で逃げていたらもしかしたらほんとに無事ではなかったかも。だって、動物って、逃げる獲物はおいかけたくなるというし・・・もしかしたらわたしたちを止めるためにほんとに噛んできたかもしれない。それを頭のいいテリーは見越していたんじゃないかと今にして思うのです。そういう風にあの子はわたしを守ってくれたんでしょう。でなければ、あのテリーが喧嘩せずにあの2頭を見逃すわけがないとおもう。

注)アフガンハウンド2頭は、まったくの2頭だけで、飼い主はおろか、周りに人っ子一人いませんでした。怖いですよね。馬のたてがみのようなサラサラの毛を全身にはやして、走っているからその毛が炎のようにユラユラ揺らして走ってくるんですもん。飼い主いないし・・・後から知ったけどその通りに沿った道にあるうちの犬だった。なんと、そこには4頭いたんです。あれがね・・・・そしてよく犬だけ離してました。ありえないでしょ。。。


ほんとにテリーはあのころのわたしにとって、あるときはお兄ちゃんみたいに頼れる存在になり、ある時は双子の兄弟のようにじゃれあって遊んだり、いつも一緒の大切な仲間でした。

明日は三頭目になるシーザーのお話

ニックネーム 華ママ at 21:45| Comment(0) | うちの子日記・過去編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

うちの子日記過去編パート1・・アポロその@

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わたしが初めて犬を飼い始めたのは小学1年生のころでした。
小さいころから動物が好きで、特にわんこ大好きな子供でした。でも、わんちゃんが欲しいといっても、なかなか飼ってもらえず、幼稚園くらいの年だったと思うけれど、クリスマスに買ってもらったウサギの毛で出来たポメラニアンのぬいぐるみをいつもどこに行くにも持ち歩いては抱っこして、話しかけていたのをかすかに覚えています。確かうす汚れて汚くなっても、新しいのを買ってあげるといわれても手放さなかったくらい宝物にしていました。きっと、小さいわたしにとってはこのぬいぐるみが生きたわんちゃんと同じ存在だったのかも・・・・
そんなけなげな?(うぷぷ)わたしを見かねたのか、やっと父は親戚のうちで生まれた子犬をわたしのために貰ってくれたのです。
それがアポロと名づけられた3ヶ月の雄のセントバーナードです。3ヶ月と言うとまだ小さな子犬を思い浮かべるでしょう?普通はね・・・・。しかーし!超大型犬の3ヶ月の子犬ってね・・・大〜っきいんですよ。ほんとに。。すでに中型犬くらいのの大きさなんですって。小さいころからあこがれていたわたしの心の犬は小さなムクムクのポメラニアンだったのに、仕事で忙しい父にはそこまで思いつかなかったんでしょうね。
それでもすごくうれしかったなぁ〜。生きているわんちゃんがうちにいて、毎日わたしがお散歩させるんだって、はりきっていたんです。でも、そう思っていたのもつかの間、まだ小さいわたしに一人ででっかい子犬のお散歩なんかさせてくれるはずもなかったのです。まもなくアポロは半年間ほど訓練所に入れられてしまい、帰ってきたら驚くばかりに大きくなっていました。確か80キロくらいだと記憶しています。帰ってきてもわたしはお付のようについて歩くばかりで綱を持たせてはもらえなかったし、一緒に遊びたくても大きすぎてそれもだめ。(結構アポロは若いころわたしにマウンティングしていた記憶が・・・一人でアポロのおうちに入るのはちょっと怖かったんだと思う。顔も決して愛らしいとは言いがたい怖いめな顔だった・・その当時のわたしにとってはね。)
そんなアポロだったが、とても頭のいい、とても穏やかないぬでした。訓練に行ったおかげもあり、お散歩してくれていた運転手さんも訓練マニアでもあったため、「ここで待て」と言われれば、コマンドを入れた人が「来い」というまで、何時までも何があっても動かなかったし、小さい子を背中に乗せてあげたり、ほかの犬とあっても、決して「つけ」の体制を崩さなかったのを覚えている。
でも、体が弱かったような覚えが・・・犬を飼ったのは初めてで、フィラリアの予防をする前に感染してしまい、毎日タブレット(たぶんフィラリアの薬)をあげていた。でも、心臓に成虫が移行してしまって、心臓の手術もしたのは覚えている。この子の兄弟は皆早死にだったらしい。
アポロに関して、わたしもまだほんの子供だったこともあって、覚えていることはそんなに多くはないが、一番鮮明に覚えているこの子との別れは、とても悲しい・・悔いの残る別れでした。あの時、わたしがもっと大人だったらあんな別れはしなかったのに。今でもわたしの心に残る大きな痛みの伴う思い出です。
この話は、もっと後で書くことになります。
明日は2頭目のミックスのテリーのお話。




ニックネーム 華ママ at 13:25| Comment(0) | TrackBack(0) | うちの子日記・過去編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする